意識高くないブログ

アラサーに差し掛かった女による、もう色々書く、あふれ出る感情とか勉強とか仕事とか病気のことなど

a bit of embarrassment

スマホで書き溜めていた文章を2本投稿した、没にしてもよかったのだけれど、その時の私をなかったことにするのも気が進まなかった。

 

ひょんなことから京都に行くことになった。

2週間後、京都にいるから来ないか、と誘われた。

「来てほしい」

と言われた。

中には息を吐くように軽々しく、私の脳味噌に突き刺さることを言う輩もいるということは、ここ数年で知った。なので、逡巡した。でもやはりそこまで明確に

「来てほしい」

と言われたら、今までの苦い経験を頭の片隅に思い浮かべながらも、その可能性に賭けたくなってしまうのも私だ。行くことにした。

 

今までの私だったらありえない、急に旅行に、しかも4日間も行くなんてこと。

しかも、相手は会って2回目の異性。ありえない。

 

だけど、自分を変えたかったのかもしれない。

生理と被ることがわかっていたから、また私の情緒が爆発して、鴨川あたりでひとり泣くことになるかもしれないということも、なんとなく予想がついていたし、何かあれば予定を早く切り上げて帰ってくるということもできるし、ましてや国内なんだから、一人旅をしたことのない私でもどうとでもなるだろう、と腹をくくった。

ここ最近の私の変化は著しいと思う。まだまだ保守的で変化を恐れるところも大いにあるが、数年前とは大きく変わった。

カウンセリングに通い始め、自分自身を把握できるようになってきたこともあり、状況をなんとかコントロールできる、見通しが立てられるようになった。だから、少しくらい不確定な要素でも拒否反応が出にくくなった。

 

だから、賭けてみた。今まで顕著だった金銭的な問題は、職場を変えて倍近くに給料が増えたので、泊まるところを多少控えめにすれば、なんてことなかった。転職して頑張ってるんだから、少しくらい贅沢したって罰は当たらないと思った。

30手前にして、今更誰かに許可を取るようなことでもない。

 

そんな中決行した京都旅行だった。

想定外だったこととして、ひとつは、

鴨川で泣くことになったのは想定内だったけれど、

それは思っていたようなことで泣いたわけじゃなかったということ。

嬉しくて泣いたわけではないけれど、想定外にびっくりしたのかな。慣れないことをして頑張ったからかもしれない。でも泣くことは想定内だったから、ひとしきり(2、3時間)泣いたら、もう平気だった。

 

ここまで来るのに足掛け2年。ちょうどコロナが流行り出したころからだから、2年半くらいかな。

初めは右も左も分からず、今思えば未熟だったな〜と思うこともある。でもまず現状を打破したい、という理由で行動を始めたのがまず何よりも褒め称えたいこと。

(ちょうど同じタイミングでランニングも始めた。それもずっと続いてる。お陰でだいぶ体型が変わった。まだまだだけど。まともにはなったかな。)

それまでまともに恋愛をしてこなかったから(ずっと同じ人に片想い、みたいな)、何かにつけて一喜一憂して、出来もしないのに駆け引きをしてみたり、自暴自棄になったり、都合のいい人になったり。

全然うまくいかなくて、誰かを好きになるたびに精神的に脆弱になって、本当に苦しかった。こんな苦しいなら恋愛なんてしたくないと思った。でも将来もし子供が欲しくなったら、今何もしなかったら後悔すると思った。今までの人生後悔ばかりで、本当に悔しい事ばかりで、死にたくなるくらい悔しくて、だから将来は少しでもそんな思いをしたくないと思った。だから今どんなに辛くても苦しくても、将来後悔してまた辛い思いをするのだけは嫌だったから、行動しなくちゃいけないと思った。死ぬ勇気のない人は生きなくてはいけない。だから、自分を呪いながら、他人も呪いながら、恋愛活動をするしかなかった。

そんなことを2年近く繰り返していた。

 

このままでは同じことの繰り返しだと思った。

外見もそうかもしれないけど、中身だとも思った。

今まで、惜しいところまで行けて、最後まで頑張れないのは、私の性格のせいだと思った。こんなにやってうまくいかないなんておかしいと思った。結果を変えるには何か行動を起こさないといけない。だから私はついにカウンセリングに行くことを決意した。

長いこと悩んだ末の決断だった。

2週間に1回30分、あっという間に終わる。でも、そのお陰かはわからないけど、行き始めてから、変わった。

数年間放置していた足の踏み場もない部屋を片付けた。あれほど大きな組織で働くのはできないなんて豪語していた私が、ついに転職した。世界の企業のTOP50なんてランキングに入る会社に(入ってから知った)。長年溜めていた借金の返済を始めた。

その他も意識してない部分があるかもしれない。

とにかく、長年の懸案事項を、ひとつひとつ、解きほぐしていった。

少しずつ精神的に余裕が出てきたのかもしれない。(特に転職したことは本当に本当に大きいと思う、就活が上手くいかなかったことをずっと悔やんでて、なんであんな子がって子がそこそこ良い会社で良いお給料もらってたりするのを見るのが苦痛で仕方なかったから)

 

だから、今回のことは本当に本当に自分がここまで頑張って生き抜いた末の出来事であり、まだもう少し生きてみても良いかもしれないと思えたのは、本当にこの間の朝井リョウの『生欲』みたいだなって思った。

 

でもやっぱりたまに我に返ったように不安になって、いつまでこれが続くんだろう?こんなにのめり込んで、後が辛いんだろうなって考えてしまって、手放しで喜べない自分がいる。

 

ひとりでも怖いし辛いが、誰かといてもそれは解消されるわけじゃないらしい。

 

永遠なんて存在しないから、いつかはどのような形でも終わりが来るから、だったらひとりで生きてその苦しみから逃れたい気もする、今なら引き返せる気もする、でもそれじゃあ今までの努力はなんだったのか?

 

結局どう生きたって違う視点での悩みは尽きなくて、だからきっとさぞかし不満も不自由もなさそうに見える著名人が、死ぬ。自分から死ぬ。

 

少しわかった気がした、根本的に進化を求め続ける生物の本能であり、高度に発達した人間の脳の欠陥。どんなに恵まれていたとしても、悩みを作り出してしまう。

 

求めていたことが叶ったのに。

始めからずっと、憧れていた本の中の出来事みたいに、時間が過ぎていくのに。

私の脳内が作り出した完全なる妄想、初対面の人間に、物語みたいには事は進まないよって言われたくらいに、夢物語の綺麗事が叶えばいいのにってずっと思ってた。

半ば諦めて、現実を直視することを言い聞かせて過ごしてきたのに、今もこれは夢の中か?

全てが綿密に計算された、文学作品のようで、まさにこれ、怖すぎるくらいどんぴしゃで、でもそれが余計に疑心暗鬼にさせる。こんなうまくいくものなのか?と

 

ついに現実と夢の区別もつかなくなってしまったのか?と思うくらい…

 

とりあえずは、夢だとしたって夢を味わってから死のうと思う、夢ならきっと誰かが引き摺り下ろすだろうし、現実ならそれはそれで今までの苦労が報われたと思って脳内お花畑で天寿を全うすれば良い。

 

すごく良くないことが起きたとしても、まあこれは夢だったしって思えたなら、私もずいぶん変わったなあ成長したなあってなるだろう

 

人間の脳の欠陥で、どうしたってすごく良くないことを考えてしまうという結論は上記にまとめましたので、ご査収ください…

 

とりあえずしばらくは終わった時にどうなるか、は必要以上に考えないようにする

(大学生の頃、カップルのペアルックとかお揃いってどう思うか?という話をしている時、別れた後が辛いのでちょっと微妙だよね、どうやって処理するの?って言ったら場が凍りついたくらい先々のことを考えてしまう子なので…その頃からもう思考先行の癖が出てる…)

私には見えます…そういうことを考えて疑心暗鬼になって自己破滅するパターンが…

 

またそれは再来週末のカウンセリングの時に先生に相談しよう…

 

(the begining of June/2022)