意識高くないブログ

アラサーに差し掛かった女による、もう色々書く、あふれ出る感情とか勉強とか仕事とか病気のことなど

なぜか、誰かにこのブログを読まれている。

特に、誰かに読んでもらうために書いているものではないが、なんとなくアクセス解析を見てみるとTwitterや、プロフィールにリンクを貼っているInstagramから、誰かが読みに来ている。

リンクを貼っている限り、読まれる可能性は承知の上だし、実際投稿完了ツイートだってしているのだから、当たり前の話だ。

この気持ちの悪い自意識過剰具合に引かれないか、怯えている半分、普段他では言えないようなことが言えて、それを誰かに読んでもらえている(共感はなくとも、私の本質を少しでも他人に開示出来ている)ことに安堵もある。

この間職場で中学生女子2人が、私の方を見ながら、「精神病ってやつじゃない」って言ったように聞こえて、以来ずっと引っかかっているが。(職場のInstagramアカウントは私がメインで作成したから、もしかすると何かのはずみで飛んで来たのかもしれない、とか考えてぞわぞわする。幻聴かもしれないし、私のことじゃないかもしれないから、本当に自意識過剰具合に引く。自分に興味ありすぎ。)

本当に彼女たちが読んでいたとしたら、世の中色んな人がいるんだよ、目に見えていることだけが真実じゃないんだよ、と教えるいい機会かもしれない。覚えておくといいよ。それに私は正式に精神病だと診断されているわけでもないし、事実自称しているわけではないから、それも訂正しておくね。何者かになりたくて自意識過剰なだけ。大人は全員が全員健康的な精神と肉体を持ち、パーフェクトというわけじゃない。

 

随分周りの目を気にして生きてきた。今もそう。

何者かになりたい自意識過剰な私は、転職を決意した。今の職場では何者にもなれないとわかったからかもしれない。もしかしたらそうじゃないかも。(臨床心理士の先生には、頭の中に複数の自分を持つのはやめたほうがいいと言われたけれど、時折出てくる、自分とそれにツッコミを入れる自分、どっちが本当で、どっちに従えばいいのかわからなくなる)

何とかほぼ理想通りの職場で勤務できることに。

  • 外資系医療機器メーカー(新卒就活時にメインで受けていた業界。落ちまくったけど。世界TOP20には入る企業で、領域のシェアはTOP4に入る。)
  • 英語使用業務(言わずもがな。これ叶えられなかったら、何のためにお金と時間かけて英検1級TOEIC900全国通訳案内士取ったの?って自分でも思う。)
  • 都内オフィスビル勤務(港区OLデビューですね、齢27にして。)
  • 家から近い(乗り換え1回、30分)
  • 給料が…比べ物にならないくらい良い…今までの5年間何だったのか?というレベル

 

中高大と希望の進路に進めず、就活でもなんでそこに入ったの?と言われるようなところに入り、結局8か月で転職して学生アルバイト時代のよしみで入れてもらったところなんて、自分を自分で許せなくて、この15年間その呪いにかかっていた。(周りは気にしてないのかもしれないし、しているのかもしれない、親とかね。でも一番は自分)

だってさ、悪いけど、中高割と真面目に勉強してたしさ(学年そこそこの順位だったと思う、評定平均も4以上は確実にあったし)、色々委員の仕事も真面目にやってたしさ、大学だって4年間特待でさ、無料でカナダと台湾も行ってさ、TOEICとか中国語の資格もそれなりに取ってさ(卒業時TOEIC800中国語検定3級HSK4級)、本だって読むし、ニュースにも関心を持って見て考えて、塾講だって真面目にやって、勉強することに抵抗もないし、周りの子たちより常識と知性と向上心だけは負けない、と思って生きてきたのに、だめだったの。

そりゃあ責めるよ、今までの自分を。小学生・中学生・高校生の頃の自分を。

学歴で捨てられている、今まで自分がいた環境が否定されていると思ったから。もっといい中高に入れば(中高一貫校だった)、もっといい大学に入れば。周りももっと頭いい子が多くて、現実を知れたかもしれない。ある意味井の中の蛙だったのかもしれない。

せめてもっと柔軟な視野を持って指定校推薦で少しでも上のレベルの大学に行けば。親の考えを否定して、自分が行きたいと思う学部に行けば。3年次編入をしていれば。幅広い業界を見ていれば。大学院に行っていれば。

でもね、知らなかったの。誰も教えてくれなかったし。なんでみんなはそんなに上手い美味い選択ができるのか。教えてくれれば良かったのに。それとも、生まれながらの本能でうまい選択ができるのか。なんで私だけ知らなかったのか。(事実、心理士の先生にも、暗黙の了解を捉えるのがもともと苦手みたいですねって言われた。)

だから、私は、自分に自信がなくなった。世間で上手く生きていけない存在なんだと、確信せざるを得なかった。頭が悪いんだと思った。そういう微妙な場の空気を感じ取って動き出すことができない。先を見通して何が一番自分に向いていて、自分の得になる選択になるのか。

そういうことができるようになりたくて、頭が良くなりたいと思った。勉強ができるという意味でも、物事の考え方が論理的だという意味でも。

だから前職を退職してからの4年半は、とにかく、勉強を頑張ったし、本でも評論もたまには読んでみたりして、色んな事を考えて、なんとか英語に関しては体裁を整えることができた。とりあえず、英語ができますと言えるくらいにはなれたと思う。これだけは本当に今までで一番頑張ってきたことだし、結果を残せたことだと言える。

 

でもやはり、なぜここまでしないといけなかったのか、と疑問は残る。

だって、私より明らかに常識も知性も学も無いのに、名の通った企業で働いていいお給料もらって、それなりにいい男やいい女と付き合って、結婚したりできているのかが本当に意味が分からない。類友なんだ、と考えることにしたが、そうなると社会の大部分がこういう人たちで構成されていることになってしまうではないか。それならば、死ぬまで除け者にされて、こういう人達に悪態ついて、でも死ぬほどうらやましくて、一人で死ぬしかないじゃん。って思っちゃう。それを心理士の先生に言ったら、全員が全員そうってわけではないし、その考えが真実ではないかもしれないですよね、と言われた。確かに行き過ぎた一般化で、拡大解釈、全か無か思考で認知の歪みがひどすぎるが、先生の意見に全肯定はまだできない。でも死ぬ勇気のない人間は働いて金を得て納税し、生きなければならない。生きるためには、働いて金を得て納税しなければならない。そのためには、少しはいい職に就き、金をそこそこいい感じに得て、自己肯定感を上げていないと生きていけない。絶望しながら生きていては金を得られないし、死にたくなる。死ねないのに。それほど無駄な時間と金銭の浪費はない。生きている意味がない。ただごみを出して地球環境を汚染する無意味どころかマイナスな物体になってしまう。そうなれば死ぬしかないが、死ぬ勇気もない。病気か事故かなんかで死んでくれたら楽だけど、神様仏様私の体の細胞様はそうさせてくれない。そうしてくれたらどんなに楽で地球にも優しいのかと思うが、そうもいかない。生きるしかないらしい。

 

だから今回の決定は私の心に少しでも光を与えてくれたのである。

まだこれからだけれど。懸念されることはたくさんあるけれど。

でもなんとか、思い描いている社会人生活に少しでも近づくことができたのではないかと思っている。

 

少しくらい、マウント取らせてくれ、英検1級TOEIC900通訳案内士取れるのかお前ら。

 

頑張ったんだから、少しくらい、いい気持ちにさせてくれ。

 

いつか死にたくないと思える時が来ますように。

 

(港区OLデビューとか、大企業勤務とか言って、全くそういう経験が無いから、本当に怯えている…今度こそほどほどに浮かないように生きていきたい…オフィスカジュアルとか何着ればいいかわからなすぎて買い物しすぎた…)