意識高くないブログ

アラサーに差し掛かった女による、もう色々書く、あふれ出る感情とか勉強とか仕事とか病気のことなど

ベートーヴェン交響曲第9番

ベートーヴェン交響曲第9番が好きだ。

 

特別な教育を受けた訳でもないが、幼い頃からクラシック音楽が好きで、人生で初めて買ったCDはホルストの惑星(当時小学6年生)。図書室で借りる本もいつも偉人の伝記の漫画で、特に音楽家はお気に入り。ベートーヴェンモーツァルトショパンなど有名どころは読み漁ってた。

高校の音楽の授業でベートーヴェン交響曲第9番(通称第九)の第4楽章の歓喜の歌を習ってから好きになって、それからよく録音を聞いていた。

演奏会は小学生の時子供向けのに一度連れて行ってもらってから長らく行ったことなくて、同じくクラシック音楽好きの今の彼氏と付き合い始めてから行き出した。

そこで去年の年末に初めて第九の演奏会(井上道義指揮・NHK交響楽団演奏)に行って、泣くほど感動した。

第4楽章のシラーの詩もそうだし、ハイドン交響曲から独自に発展させてその後多くの音楽家が作曲した交響曲の礎を築いたベートーヴェンの集大成であり、それまで合唱は交響曲にはつけられなかったのが終楽章にくる。バイオリンだけではなくて全ての楽器が目立って、楽器同士が語り合ってまさしく歓喜の歌を歌っているような構成。完璧すぎて非の打ち所がない。

ベートーヴェン自身耳が聞こえなくなり、それでもここまで高度な作品を作れるなんて、本当に感銘を受けるし、聞くたびに五体満足な私はまだやれる、と勇気をもらえる。

 

ベートーヴェンの他の作品はあまり好きなものがなくて、聞く頻度は高くないが、第九だけは違う。クラシック音楽数多しといえども、一番好きな作品を問われれば真っ先にベートーヴェンの第九と言える、それくらい好き。聞くたびに感泣してしまう。耳が聞こえていなくても、どんなに辛いことがあっても、こんなに美しい音楽が作れるのは、やはり楽聖と言われるだけある。

 

去年のN響の第九の後、5月に日本フィルハーモニー交響楽団の演奏会にも行った(ピエタリ・インキネン指揮)。

前から2列目だったこともあり、本当に素晴らしい体験だった。指揮者の前のソリストたちに、涙でびしょびしょの顔を見られただろうなあという少し気恥ずかしい思い出もあるが。ソリストの言葉の一つ一つが身に沁みた。

 

この曲を聞いた後は、心がどんなに荒んでいても、人生ってこのためにあると思える。生きることの喜びを感じる。まさしく歓喜の歌だ。

全てのことに感謝できる。生まれたことに、私という生を創造した両親に、憎しみを持つこともあるけれど、この曲を聞けば、そんな気持ちも演奏に、合唱に、吹き飛ばされてどこかへ行く。ベートーヴェンありがとう。

 

そんな特別な力を持った曲だから、年末に第九を聞きたくなる人は多いのかもしれない。

師走という名前の通り、忙殺されがちな年末だけれど、この曲を聞いたらリセットされる。ああ、今年も山あり谷ありだったけれど、この曲を聞けて一年生きられて、良かったなあ。全てのことに感謝だなあ。そんな気持ちになる時間が、少なくとも年に一度は必要なのかも知れない。(私は年一では物足りず、年五くらいは必要だが)

 

あまりクラシックに明るくなくとも、第九は知っている人も多いだろう。12月になれば、第九の演奏会は数多の楽団が開催しているから、是非行ってみて欲しいと思う。

 

ちなみに私は初めて第九の演奏会(上記)に行った時、終演後に一言、「宇宙を感じた」。

 

さて、あなたは何を感じるか?

 

今年はどこの第九を聞きに行くか、悩みどころである。