時間の進み方は人によって少しずつずれているかもしれない
若いときにはそういう淋しく厳しい時期を経験するのも、ある程度必要なんじゃないかしら?つまりは人が成長する過程として
樹木がたくましく大きくなるには、厳しい冬をくぐり抜けることが必要なみたいに。いつも温かく穏やかな気候だと、年輪だってできないでしょう
時間の進み方は人によって少しずつずれているかもしれない
木樽はたぶん、何かを真剣に求めているんだよ
普通の人とは違う彼自身のやり方で、彼自身の時間の中で、とても純粋にまっすぐに。でも自分が何を求めているのか、自分でもまだよく摑めていないんだ。だからいろんなものごとを、まわりに合わせてうまく前に進んでいくことができない。何を探しているのかじぶんでもよくわからない場合には、探し物はとてもむずかしい作業になるから
でも僕の見るところ、僕の知る限り、たとえあんまり普通とは言えなくても、お前はそうすることで、とくに誰にも具体的に迷惑をかけていない
それでいいじゃないか
それのいったいどこがいけないんだ?今のところ誰にも迷惑をかけていないなら、それでいいじゃないか。だいたい、今のところ以上の何が僕らにわかるって言うんだよ?
おまえの人生なんだ。なんだって好きにすればいい。誰にも気兼ねすることもないだろう
人格を変えることはできない
そう、好奇心と探求心と可能性
そのようにして僕らは年輪を作っていく
私は残念ながらそれほど頭が良くないの。だから回り道みたいなものが必要だったの。今でもまだ延々と回り道をし続けているのかもしれないけど
僕らはみんな終わりなく回り道をしているんだよ
話題作『ドライブ・マイ・カー』が収録されている村上春樹の短編集のなかの『イエスタデイ』
ハルキストとは呼ばれたくないけど村上春樹結構好きで読んでいる
どの話も好きなんだけど私はこの『イエスタデイ』が一番好きで何度も読んでいる
初めて読んだ時、電車の中だったんだけど、その時がありありと思い出せるくらい、私の脳味噌直撃だった話
ことあるごとにこの話、特に
「時間の進み方は人によって少しずつずれているかもしれない」
「今のところ誰にも迷惑をかけていないなら、それでいいじゃないか」
を思い出して、お守りのように胸に抱いて生きている