ことばと思考
31年間続いた平成も幕を閉じ、ちょうど改元から1年経った、時は令和2年、5月。
未曾有の伝染病、「新型コロナウイルス(COVID-19)」が世界中で猛威を振るう。
日本においても全国に「緊急事態宣言」が発令された。
そのような状況下で筆者の職場も閉鎖され、自宅待機を余儀なくされてしまったのだ……。
ということで、週32時間以上の勉強を己に課している。
みっちり資格の勉強……といっても飽きてしまうので、評論文を読むことにした。
なぜかって?それは評論読んだら頭良くなりそうじゃーん。って思ったから。
安直なその考え方が頭悪いって?そうだよ、頭悪いから頭良くなりたいんだよ。
一応ここで「頭が良い」の定義をしておく。
「頭が良い」=幅広い(ここ重要)知識と教養を身につけていて、それを用いた思考や発言ができること。また、それをひけらかさないこと。(ここ重要)
井の中の蛙にはなりたくないし、能ある鷹は爪を隠すんです。
わーこの人頭良いと思っていたのに、こんなことも知らないのー?とか、すごいのかもしれないけど、マウント取ってきてうざい。みたいな人いるんですよねえ。そういう人にはなりたくないって気持ちを込めて、ブログの題名にもした。
っていうことで一本目はこちら
この本は、かつて私が大学の新入生だった頃に配られた推薦図書リストに載っていた。
そんなのよく取ってありましたね、という声が聞こえてきそうだが、Amazonのほしいものリストに純粋実直な10代の頃の私は追加していたのだ。(読んではなかったから、今こんな大人だけれど)
大学時代は言語学者になりたかった時期があったくらい、言語というものに惹かれる私なので、とりあえず、言語っぽいこの作品を選んでみた。
評論文は、大学受験時代の現代文で読んだのと、あとは今仕事柄たまに読むことがあるけれど、せいぜいその本の美味しいところだけを抜粋したものをちょこちょこ読むくらいだから、本腰入れて読んだことは無いわけだ。
どうりで途中眠くなるわけだ……。おっと、口が滑ったね。
以下書評
この本は、言語は思考に影響を与え、また、言語が違えば、思考も異なってくるのか、という点において解き明かしたものである。
しかし、言語学の観点というよりも、筆者の研究分野である心理学の立場からの実験や考察が中心となっている。
学士だけど卒論をそれなりに真面目にやった者として言うと、実験があるから、論が理解できる、というのは至極真っ当なことで、だからこの本の論は信頼に値すると思うよ。
最近の世の中ではソースがよくわからない情報に盲信的になる輩が多いからね。「みんなが言っているから」なんて言って信じて原爆落とされて、今でも戦勝国に敗戦国のレッテルを貼られて、イマイチ伸び悩んでる国って知ってる?おっと、どうやら最近だけの出来事じゃないみたいだね。
でもねー、この実験の手法とかねー結果とかねー詳しく書いてあるんだけど、そこがなんだかわかりにくくて(図説もあるんだけど)、睡魔タイムが始まってしまったね……。
私の理解力の問題かもしれないけど。
でも、仮説→実験→考察の論の流れは非常に明解だった。だからせこい技使って、ああ、ここ重要だなーと思うところだけじっくり読んで他はざっと読むことにした。
受験現代文の頃にこの技を身につけられていたらもっと著名な(この本の筆者がいるような)大学に入れたかもねー、なんて、言わないよ。
個人的重要ポイント
言語の特徴は多様性が目立つし、違いの方が共通性よりも見つけやすい。しかし、人の思考の性質、言語の性質を共に理解するためには多様性のみならず、共通性の理解は非常に重要で、それに目を向けることは必須
従来の言語学が多様性を重視していることに対しての筆者の意見。
これは、学問の中だけではなく、世の中にも言えるのでは?多様性に注目して、お互いを知り尊重し合うのも大事だけど、じゃあ逆に、一緒のところってなんだろう?ってあまり私自身考えていない気がした。
私はこうだけど、日本人はこうだけど、あなた、外国人はこういうところあるよねーってなりがち。
意外と海外にも日本と共通の部分があったりするし、「共通性の理解」は面白い着目点かも。
ことばは子どもが自分で概念を学習し、大人の持つ概念構造を自ら作り上げていく際に、大きな役割を果たす。ことばが存在しなかったら、幼児が素早いスピードで概念を学び、効率よく概念体系を作り上げていくことは不可能
だから、ことばの学習は幼児期にとって大事なんだね。最近の小学生は教科書レベルの読解でも苦労してるけど、これは、幼児期に絵本を読まないからなんじゃないかという持論。この筆者の論から言うと、私の論もあながち間違って無さそう。
大人が書いた文章を読むには、「大人の持つ概念構造」をある程度作り上げていかないといけないということかな。
(最近の小学生は〜の仮定は、私が仕事で小学生と6年以上接してきた結果導き出された仮定)
相対的枠組みに依拠したことばを学習する前の子どもは、絶対的な方向定位能力を保持している。人間以外の動物全般もまた、基本的に絶対的枠組みの中で暮らしている。つまり、相対的枠組みに従った空間の認識は言語によって作り出された
※ここでいう、絶対的枠組みっていうのは、対象に依拠せず、東西南北の方向がどこにいてもぱっとわかる状態で、相対的枠組みは、それが分からなくて、左右上下前後など対象を中心とした考え方をしている状態。(私の説明が分かりにくい……)
これ読んで、はっはーん、ということは、ことばがわからない、使えない状態っていうのは動物レベルってことじゃん……。
これから、ことばが使えてない、足りてない人は人間じゃない、赤ちゃんだと思おう、っていうか知能レベルはそうだよねって悪知恵つけた。笑
人間以外の動物と人間の子どもの間で大きく異なるのは、持っている知識を使って、さらに学習していく学習能力なのだ。
これもそう。学習能力ない人=人間じゃない、をここまで理論的に言われると、もはや気持ちが良い。
情報をスムースに処理し、知識を効率よく得ていくためには、不必要なことに無駄に注意を向けないということが大事
ちょっと本筋からは逸れた余談みたいな話だったんだけど、心に留め置いて知識を効率良く得たいと思ってメモ。
言語がもたらすものは、単にコミュニケーションの手段にとどまらない。言語を学ぶことで、それまでと違った認識を得、思考の手段を得るのだ。
外国語を勉強し、習熟することで、その外国語のネイティブと全く同じ「思考」を得るわけではないにしても、母語のフィルターを通してしか見ていなかった世界を別の視点から見ることができるようになるのである。
自分の言語・文化、あるいは特定の言語・文化が世界の中心にあるのではなく、様々の言語のフィルターを通した様々な認識の枠組みが存在することを意識することーそれが多言語に習熟することによりもたらされる、もっとも大きな思考の変容なのだ
結局筆者は、ことばは思考に影響を与える、と結論づけた。
だからこそ、外国語を学ぶことも思考に影響を与えると。
この3文は、私も最近思っていたことだったから、私の考えは間違いじゃないんだなーと認識できて良かった。
私が嫌なのは視野が狭くて「井の中の蛙」になっていること。
そういう人たちを今までたくさん見てきたし、自分もそうだった、もしくは今もそうかもしれない。
自分が無知だということも知らないで偉そうな顔をして、人を見下す姿ほど醜いものはないし、世の中を悪くすると思う。
そういう人が有能な人の価値に気付けずに、その人の芽を摘み取ってしまう。
こういう人が多かったら、何も新しい意見なんて出ないし、社会は停滞してしまう。
そんな世の中に今の日本がなっていないか、少し憂いているのです。汚い小部屋から。
と、いうわけで、初めての書評、という名の感想文に取り組んだ。
中身が大したことないのに、時間がかかってしょうがない(2時間以上はかかってる)し、あんまり長くし過ぎると冗長になりそうだったので、かなり端折った。
次はちょっと何を読むか未定で。
というのも、
これを買いまして。
これには評論の美味しいところだけの抜粋が何本も入ってて、これを読み進めて、気になった評論または筆者の本を読もうと思う。
高校生の時に今みたいな思考ができてたら完璧なのに。でもどんなに後悔しても過去には戻れないから、今頑張る。やりたいと思ったことをすぐやる。
そうしたら、未来は少しましになるかもしれないからね。あの時やっといてくれてありがとう過去の自分!って未来の自分に感謝されるかもしれないから。
これを読み進めての感想とかも書こうかな。もう少し先になるかもしれないけど、早く次を書きたいから、早く読む。