意識高くないブログ

アラサーに差し掛かった女による、もう色々書く、あふれ出る感情とか勉強とか仕事とか病気のことなど

切りのない話

だからこそ、漂うことすらやめて、溺れてしまったら楽なんだろうなあと思う。でも、漂うことを諦めてしまったら、きっと一生波にさらわれ続けるんだろうな、とも思う。波が来て、泳ぎ疲れて、漂い続けているうちが、一番苦しいのではないかと思う。でもそう思ってしまう自分こそ、一番自分が可愛いのではないか。あれほど自分勝手で自己中が嫌いだと言っているのに。自分の軸で考えている時と、自分という枠を超えて考えている時、正反対の結論になってしまう。どっちともつかない、答えを出さなくてもいいと思って(世の中はそう「アドバイス」をしてくる)、放っておいても、また同じところで躓いている。曖昧だっていいじゃないと、周りは言う。けれども、曖昧にして放っておいても、やはり自分はそれが根本的問題で、解決しなければならないところではないか?と思う。ずっと、騙し騙し「曖昧」を重んじて来たつもりでいる。そうしたら、抜け出せなくなってしまった。変わることが怖いのか。面倒臭いのか。また一歩踏み出せたら変わることができるのだろうか。誰かが浮き輪を投げてきちんと岸まで導いてくれるのだろうか。そこまで行かずとも、また泳ぎ方を教えてもらうことはできるのだろうか。泳ぐ活力となるような食べ物を与えてくれるのだろうか。また、周りのせいにしている。自分が一番の犠牲者って顔をしている。口では自分が悪いと言いつつも、奥底では周りが悪いと思ってる。卑怯なのは私か。そうやって自分を卑下するところすら悪意を覚える。切りがない。