意識高くないブログ

アラサーに差し掛かった女による、もう色々書く、あふれ出る感情とか勉強とか仕事とか病気のことなど

生か死か、そしてその間か

 女性としての性を使わずにここまで来たような気がする。

中高は6年間女子校に通い、大学でもサークルに入らず、恋愛もまともにせずここまで来た。結婚はできたらいいなと思うが、子供が欲しいと思ったことは一度もない。

 なのに毎月生理が来る。私にとっては全くいらない機能だし、生理の前はかなり気持ちが落ち込んでしまう。生理痛もそれなりにあるし、年々ひどくなっている気がする。最近イブプロフェンを飲んでも効かずに眠れず吐き気に襲われたことがあり、ロキソプロフェンに切り替えた。が、頭痛持ちでしょっちゅう鎮痛剤を飲むからか、それも効いているかも分からなくなってきた。生理の時だけではなく、排卵時も下腹部が引き攣れるような痛みが強くなってきた。ナプキンが切れそうだから買いに行かなきゃとか、仕事中も漏れないか気にして過ごすのとか、今までうまくやってきたはずなのに、どうも煩わしく感じるようになった。私にはいらない機能なのに、と。

 どうにかしてこれを止めてしまう方法はないものかと思いネットで検索したら、「ピル」の文字。私みたいに煩わしいから、という理由で処方されるとは書いてなかったが(避妊や痛みの軽減、試験や泊りがけの用事のために使う人が多いらしい)、これは期待できるかもしれないと思った。

 病院に行ってどう説明するんだ、「生理が煩わしいから止めたいんです」と言うのか。それとも、建前上「生理痛がひどくなってきて」というのか。そんなことなるようになれ、と思うほど早くどうにかしたかった。私のいらない機能、どうにかしたかった。

 だから、私が別の科で通っている病院に婦人科があったので、とりあえず予約を入れた。で、初めての婦人科。性交渉の経験もない私にとっては全くなじみもなく、何をされるのか、どうなるのかも全く想像できなかった。が、そんなことどうでもいい。早く解放されたい。

 診察が始まり、どうされましたか?のお決まりの文句を投げかけられ、私は

「生理痛がひどくなってきて」

と建前の台詞を選択した。いざ病院に行き、医者を目の前に本音は言えなかった。私はそういう人間だ。一通り私から症状を聞いた医者は診てみましょうと言った。訳が分からないまま内診台に座らされて(文字通りだ。あの特殊な椅子にどうやって座ればいいのか全く分からず、看護師に若干キレ気味にどう座ればいいのか聞いたくらいだ。)、肛門から器械を入れられて、久しぶりの感覚を味わった。(潰瘍性大腸炎で大腸の内視鏡をした以来だ)

 肛門は私にとっては物を入れる場所ではなく、出す場所なんだけどな、とか当たり前のことを考えながら超音波で私の腹の中を探られた。(慣用句的な意味でもあったかもしれない)

 超音波探索を終了した医者は、意外な一言を放った。

「子宮に3.5センチほどの血腫が見られます。子宮内膜症って聞いたことありますか。まだ肛門からの超音波なので、確定はできませんが。確定するためにMRIで詳しく診てみましょう。放っておくと大きくなって、不妊の原因になるだけではなく、10センチくらいになると手術をして取らなくてはいけないくらい痛くなります。ピルを飲むのが一般的な選択肢になります」

 まさか、だ。事は私の引いたレールから少しずつ離れ始めた。

 「この病気に適応できる薬で、治験の適応になる薬があって。メーカーさんが費用を負担してくれて、治療ができるというメリットがありますが、詳しい話をお聞きになりますか」

 もっと話が壮大になった。また新しい病気。去年網膜剥離で手術したばかりなのに。MRI。重病感。治験???

 とりあえず話を聞いてみることにした。すぐに治療を開始できるわけではないこと。1年間くらいかかる長丁場の治験であること。毎日体調を記録しなくてはならないこと。検査を多く受けなくてはいけないし、痛みを伴う検査もあること。他の薬の使用に制限があること。通院の回数が多くなること。その代わり、治療費はかからず通院の度に謝礼金が支払われること。

 もうここまで来たらどうとでもなれと思った。もう本来のレールから大きく外れてしまっている。治験に参加することにした。

 翌週、MRIを受けた。噂通り「工事のトンネル」だった。腹部にきつくさらしのようなものを巻かれて、狭いトンネルの中で30分じっと耐えなければならない。(肩に注射も打たれた。説明はされなかったが、鎮静剤の一種だろう。)過呼吸気味になりながらなんとか耐えた。

 次の日、結果を聞きにまた診察。やはり3.5センチの血腫で間違いないだろうと。それだけでは終わらず、検査のフルコース。経膣検査で激痛を味わった後は採尿・採血(6本も)・心電図・身長・体重・乳房の触診・マンモグラフィー

 という感じで治験闘病生活がスタートしたのだった。

 

 それで話は終わるのが、普通だ。いや、ここまででも普通ではないのだが。20代で1年間に2個も病気に罹るのが普通か。しかも風邪程度の病気ではない。しかも私は6年前にも潰瘍性大腸炎をやっている。入院しかけたのを神回避し、寛解後一度も再燃せず済んでいるが。病気自慢をしたいわけでもない。老人ではあるまいし。腸・眼球の次は子宮か。

 ただここで話は終わらない。

 先日、治験担当者から連絡があった。

 「マンモグラフィーの画像を専門医に診てもらったところ、大丈夫だと思うが、一応エコーもやったほうがよいとのことでした。次回来院時に一緒に診てもらうということで宜しいですか」

 次は乳腺までやられているのか?しかも何かあるとしたそれは病の最終形態ではないか。

 確かに、必ずしも何かが見つかるわけではない。見つからない可能性のほうが高いのかもしれない。若年者は乳腺が濃く映るので、検査に引っかかるが、何もない例が多いのだそうだ。だがこの流れはなんとなくいやな予感がする。過剰になってるだけかもしれないが。

 数日前、記録のために貸し出されているタブレット端末に不具合があったため、新しいものに交換のため治験担当者に面会に行った。その場で次回の予約を決めていた時。なんとも多くは語らない態度が気になった。しかもどうやら検査は1種類だけではないようだ。2時間はかかると。過剰に想像を働かせすぎかもしれないが、特別なんともなさそうで、本当に念のため(文字通り、基準に当て嵌めて形だけやるという意味)だったら、それを強調するのではないのか?そういう態度ではなく、あえて多くを語っていないような気がしてしまったのだ。

 考えすぎかもしれない。が、病の最終形態ともなると話は異なる。ここ最近はそればかり頭に浮かんできてしまう。一体いくつ臓器を差し出せば、というのがここに帰結する。そのせいかはわからないが、最近体調が宜しくない。病は気からなのかもしれない。

 とりあえず、1か月このままでいなくてはいけない。持つだろうか。持たせるが。気になるだろうが。私のゆくえ。私はどうなっていくのだろう。最悪の可能性だってどんとこいだと思っているが。やはり気になってしまう。考えすぎかもしれない。考えすぎなのだ。でもまさか、自分がこういう考えすぎをするとは思わなかった。

 

 とにかく、滑稽である。

 

 女としての性を否定(男になりたいとか、同性愛だとかではなく)したいがために行動を起こしたのに、女性としての証明である臓器にここまで悩ませられることになるとは。生き死にまで考えるとは。残りの人生の時間に思いを巡らせるとは。

 

 この過剰な思考が杞憂であるのか、そうでないのか、楽しみではあるので、それまでは平和に生きていけると思う。患者として。また、それを知らない私の周りの人たちよ、面白い。もっと面白く。どうなるだろうか。当事者が一番状況を楽しめる。